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印西市の歴史(草深)
印西市は、3市にまたがる千葉ニュータウンの総面積の7割近くを占めています。
戦争中は、印旛陸軍飛行場として草深(そうふけ)飛行場や養成所があり軍事的に重要な所でした。
しかし、戦争で草深飛行場は無くなり、この一帯はただの原っぱになってしまったそうです。
台地であり水の便が悪いこの地域を開拓するのは、大変な苦労だったそうですよ。
さらにはこの時期、ひょうによる作物の被害も多かったそうで、この土地を開拓してきた方々は本当に大変だったと思います。
北総台地の丘陵地帯で活断層がなく地盤が強固なため、地震などの災害にも強い地域です。
東京と成田空港の中間地点となり、2020年の東京オリンピックを迎えて成田・千葉ニュータウン業務核都市に位置付けられていている地域です。
江戸時代は宿場町(木下)
印西市の歴史はとても古く、木下を中心に街ができていきました。
木材を運ぶ利根川水運の宿場町。「木を下ろした」といえばわかりやすいでしょうか。
江戸時代の経済の中継地点で、市川市まで走る木下街道をはじめ、海浜幕張方面にも第2木下街道と呼ばれる道路があることをご存知ですか?
古い町並みにはいまだお蔵さえも残る情緒豊かな街ですが、昔は柏・我孫子より賑やかで、映画館が2つもあったらしいですよ。
JR木下駅から徒歩5分で利根川の河川敷へ、近くには手賀沼を望める水と緑の豊かな街です。手賀川と弁天川に囲まれた景色は本当に癒されます。